自分が大学や大学院にいたときに、「役に立つからこれを学んでおこう」という意識で研究をしていなかった。どちらかというと「やりたいからやっていた」という感じ。
この「学ぶ」というのは一体なんだろうか?
もちろん、「学ぶ」というのは計ることができる。例えば、教科書で覚えてペーパー試験でいい点を取るという方法で。
ただ、これで果たして「学ぶ」ことができたのだろうか?
私個人としては、「学ぶ」のは教科書から決して得られなかった。そもそも教科書はすぐに忘れる。頭に残らない。それよりも、様々な失敗体験(又は実体験)をカラダで経験し、真っ正面からその事と向き合うことで学ぶことができたのだと思う。
つまり物事の本質をつかむというのは、答えがあらかじめ与えられているのではなく、自分で問題を探して解いていく中にあるのでしょう。
最近、趣味においても同じような事を感じる。例えば、書道。書道という字をひたすら毎週練習する。1年で、楷書、行書、草書と進んだが、なんで練習しているのか?教科書に書いてある訳ではないのでよくわからない。1年経ってみて、そこまでまだわからないが少しずつわかってきたような気がする。
つまり、書道というのは、書と筆を通じて、自分から問題を解いていくかのように、だんだんとわかってくるのではないか?そういうことで、カラダは字を覚え、字がうまくなるのではないかと。
「学ぶ」ということは「役立つ」というのに結びつくかどうかはわからないが、「学ぶ」ことを通じて本質をつかむということは、社会で役立つ。
世の中は意外と単純にできているのでしょうね。
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