大きな書店の入り口付近を見ると、よく自己啓発やハウツー本が積んでいる姿を見かける。私が初めて自己啓発本として、「七つの習慣」を読んだのが、1997年頃。それからというものの、年々こういった種類の本は増えているように思う。
ここに一つのデータがある。友人が幸福について考える読書会を開いたときに、様々な切り口で幸福について話していた時に紹介を受けた。
これは海外のデータではあるが、幸福について書かれた書籍について年代別に追ったものである。幸福が真剣に取り上げられたのが1970年代以降で、その後年々増加している。なんと、2006年には、1000冊にも及ぶ。なぜ1970年代ほどんど出版されていないにもかかわらず、こんなに増えてきているのだろうか?
その頃学生運動やカウンターカルチャーなど今よりももっと激動の時代ではあったが、私自身、その頃にちょうどストーリー不在の時代に突入したのではないかと考える。つまりそれは、ストーリーとは国家や両親など、外から与えられた将来像という名の幸福についてのストーリーが通用しなくなり、自分たちで模索しなければならなくなった時代へとかわっていったことを意味する。
例えば、国家でいえば、「アメリカンドリーム」というストーリー、両親からのストーリーでいえば、「医師になりなさい」「いい大学を出て一流の企業に勤めること」。アメリカでは貧富の差が激しくなり、必ずしもアメリカンドリームは通用しなくなっているし、日本も、いいと思った会社ものきなみだめになっているケースもある。
そして、幸福について新たなストーリーを模索するために、もちろん今よく言われる「自分探し」もあるだろうが、書籍(やセミナー)に求めるようになった。それが自己啓発本に対するニーズが高まった背景ではないかと。
脳はストーリーを欲すると以前ブログに書いた。人間の本能としてストーリーを求めているのだとすると、どんどん自己啓発本が増えているという現実は、実は「幸福」というのは一人一人違う分、一つの本ではその答えを与えることができないからなのだろう。しかも、必ずしも宗教がそれに対して答えを与えてくれるとは限らないため、それに拍車をかけている。
いわば、個人個人がそれぞれ自分でストーリーを作っていく時代に突入したのでしょう。
これから一人一人が自分でどのようなストーリーを作っていくのか?
そう考えると、今後とも書店には、その答えを探すために、自己啓発本は積まれていくのでしょうね。
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