キリスト教が力を失った19世紀末から、飛躍的に物理学は発展し始め、それが1953年のDNA二重らせん構造の解明へとつながり、物理学からそのバトンは生物学へ引き継がれ、生物学に飛躍的な発展とともにそれが現在でも進行中である。
科学はなぜ発展したのかというと、キリスト教の力を失い、
「なぜ、世の中はこのような仕組みになっているのか?」
という問いをやめ、
「どのように、世の中は作られているのか、その仕組みは?」
という、WHYからHOWへと問いを変えたというのが大きいと思う。
生物学でいうと、WHYで考えると「だれが生き物を作ったのか?」といった宗教、哲学の話になる。HOWで考えると、「どのように生き物はできているのか?」と考えるため、細胞を壊したり、人間を含めた動物の内部を見る(つまり解剖する、顕微鏡で見る)ことで、構造から、生き物はどのように働いているのか?を考えるようになる。成果として、DNA(生物の設計図)、酵素、タンパク質(生物の構成部品)などの構造がわかり、それがどのようにして病気を引き起こすのか?の解明への一助となり、私が携わっている薬による治療薬の開発へと進む。
これは、統一した見方から個性的な見方へと科学の考え方を変えることへとつながる。すなわち「WHY」については棚上げし、とりあえず答えられるものについてのみ焦点を絞り、そこから「HOW」を考えるので、一人一人が観察したもの、心に動かされたものの解明に目を向けるから。そのため、学問も個別具体的、かつ個性的になる。
つまり、科学者一人ひとりが大きなストーリー(統一した理論、神が世の中をどう作ったのか?)を考えるよりも小さなストーリー(個人個人がどう世の中を見るのかという、面白い発見)に視点が変わる。
科学はどんどん人間らしくなってきた、という意味では、現代アートに非常に近いのではないかと思う。現代アートも、世の中はどう作られているのか?神はどう見るのか?というWHYではなく、一人一人の人間が世の中をどう見るのか?どう自分は表現するのか?というHOWになっているから。
以前ブログで科学とアートについて似ていることを指摘した。WHYとHOWの視点から考えると、その共通点はより面白く見えるのではないかと思う。
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