研究の世界では、引用率の高い論文が良い論文といわれている。その裏には、論文の引用の数が高いに比例して研究の世界で認められるという考えがある。その引用率の高い論文が出る可能性が高い論文は、一般的にインパクトファクターの高い雑誌であり、医学の世界では、New England Journal of Medicine, The Lancet, Nature Medicine, Scienceなどがある。
それらの雑誌に論文が掲載されると、大学でのポジションが得やすくなるため、論文を出すための努力が行われる。
こういったレベルの出る論文はどういった論文なのだろうか?そのためには、周囲の研究者から見て「お、これは面白い!」という論文を出すことが重要である。
私が10年以上前にいた研究室はインパクトファクターの高い論文をたくさん出す研究室で有名だった。そこに4年間在籍し、「どのようにして発見してきたものをうまく論文化できるのか?」を見てきた。
ほかの研究室と実験の方法は変わらないのに、何が違うのか?
それは、一言でいって、
「面白い研究というのは何か?その基準というのか、いわば研究に対する感性がわかっているか」
とことを強く意識していたことである。これはそれほど大きな差はないように見えて実に大きい。
研究の世界は圧倒的に欧米が強く、積み重なった一つの西洋の文化の産物である。その文化の上に何か価値を付け加えることができるかどうか?が研究において最も重要だと思う。つまり西洋文化の文脈の中で自分が行っている研究を位置づけて考えなければならない(以前これはモダンアートと似ているということで別のブログにふれた)。位置づけられて初めて「面白さ」というのがわかる。
その基準がわかったうえで、テーマを決めて研究を行うことが実は大事なのだ。
実験をしていると、「予想できること」と「予想できないこと」が起こる。だいたい、抗生物質の発見やiPS細胞を含めて、予想外の実験結果から、あるいは何かに気がつくことから、新しい考えが出てくる。この「予想できないこと」をとらえる目というのが、「面白さ」の基準がわかることによって養われるのではないかと思う。
そう考えると、実は研究者というのは、実験技術のうまさやロジックよりも、観察力の有無(着眼力)や感性といった方のが重要であることが明確になる。
思った通りにうまくいかない。だから、研究者というのは研究に魅了され、やめられなくなるのでしょうね。私はそこまで極めることができなかった。今振り返ったら、その面白さの気持ちが少しわかるような気がする。なので、この見方を自分の仕事に生かせればと思っている。